英語とか、ホフスタッターとか、表面とか。

最近研究室では英語がよく話題になります。


全ての学びと同じように、英語もまずは"まね"があるといいのですが、毎日どこら中日本語で終止できる環境、そのチャンスも少ない。こーいう環境はとても楽なのですが、一方で容易においていかれるアセリ感もあり。


ゲーデルエッシャー・バッハ」という怪著で有名なダグラス・ホフスタッター先生の新刊「Surfaces and Essences」をちょいちょい読んでいますが、こういうのがよそではふつうに売られているのに、邦訳されるのはまだまだ先の事なんだろうなとおもうと、圧倒的な地(というか言語)の利の差を感じてしまいます。


この本、基本は認識の話ですが、"表面的"、と(あまり好意的じゃない意味において)呼ばれることがらが実は本質的に重要だという議論をタイトルに持ってきているあたり、表面物理の研究者にとっても実に示唆的です。本書で認識の最重要要素として議論される「アナロジー」は自分も好きで、研究スタイルもそうなりがちでして、しかしアナロジーによる議論はけっこう適当感があって、がっちりしこないのでおすすめはしませんが、やはりニンゲンの思考の根本に近いようなところにこれがあると信じたい、と、言い訳的に思っています。

(yamada)